あれから2週間が過ぎたが、M社の工藤からはまだ連絡が無い。
物件が決まらないことには前に踏み出せないような気がして、さすがの石田も不安の色を隠せない。
不動産屋からの物件情報もなかなか良いものはなく、まれに良いものがあっても実際に物件を見に行くと、すぐ隣が歯科医院だったこともあった。
いざ、開業を決意してみたものの、最初の一歩である「物件」で躓いてしまい、このままで本当に開業できるのか、これからいったいどうなるのか・・・そう考えると不安ばかりが募る。石田は精神的にも肉体的にも疲れ果てていた・・・。
喫茶店で、さなえと珈琲を飲んでいる石田。
さなえに開業の現状を話している石田だが、出るのは溜息ばかりである。
そんな石田を、さなえもまた不安気な表情で見つめる。
「はぁ~、何か精神的にも肉体的にも疲れたよ。どこかにいい物件でも転がっていないかなぁ・・・。」
大きな溜息をまた1つつき、天を仰ぐ石田。
そんな石田を見ながら
「そうまでして開業しないといけないのかなぁ・・・?」
呟くように言うさなえ。
「え?何か言った?」
驚いてさなえを見る石田。
「う、ううん、何でもない・・・。」
石田と目線が合い、思わずうつむくさなえ。
2人の間に気まずい空気が流れる。
その時、石田の携帯が鳴る。相手は待ちかねていた工藤からであった。
急いで電話にでる石田。
「あ、工藤さん。お世話になります。」
電話口から工藤の明るい声が響いてくる。
「石田先生、大変お待たせしました。これ以上ないぐらいの良い物件が見つかりました。」
「えっ、本当ですか!」
思わず立ち上がる石田。
とあるビルの中の一室。
入口には「テナント募集!」の大きな張り紙がしてある。
がらんとしたそのテナント物件の中で打合わせをしている石田と工藤。
工藤の説明を聞きながら、物件の中を歩き回る石田。
「石田先生、デート中のところ申し訳ありませんでした。」
石田、歩くのをやめて工藤の方へ向き直る。
「いえいえ、前みたいに先を越されたくないですから。それに彼女をおいてまで見に来て正解だったと思います。とても良い物件です。気に入りました。」
石田、工藤のほうへ近づいてくる。
「ありがとうございます。我々は中途半端な物件はご紹介しません。吟味に吟味を重ねて、これだというものだけをご紹介します。」
「そうですね、適当にどの物件でもFAXしてくる不動産屋とは全然違います。」
何度も頷く石田。
「では、石田先生。もう少し詳しくこの物件データをご紹介します。立地調査や人口実態調査などのマーケティングリサーチの結果ですが・・・」
鞄から資料を取り出す工藤。
「え?もうそこまで調べているんですか?」
驚く石田。
工藤、満面の笑顔で頷く。
「もちろんです!」
ファミリーレストランで打合わせをしている石田と工藤。
石田は、工藤が用意してきた資料に目を通している。
「石田先生、開業の場所が決まれば、内装の見積り、機器の見積り、そして事業計画を立てて銀行と融資の交渉です。」
資料を置き、真剣な表情で頷く石田。
「事業計画書ですが、開業後の顧問契約を森川先生と結んでいただけるのであれば、森川先生が無料で書いていただけるそうです。いかがされますか?」
「え?無料ですか?」
驚く石田。
「はい、開業後に税理士と顧問契約いただくのは必要です。石田先生のことをよくご存知の森川先生は適任ですし、事業計画書だけを頼むとどこでも5万円ぐらいはかかります。このタイミングで森川先生と契約するのは非常に良いと思います。」
石田、頷きながら
「それは助かります。森川先生には顧問になってほしかったので、是非お願いします。」
そこで石田の携帯が鳴り出す。
「あ、ちょっとすいません。」
石田、液晶画面を確認して、電話に出る。
「もしもし、さなえ?さっきはごめん。でも、行ってよかったよ。とてもいい場所だった。今度一緒に見に行こうか・・・家賃は30万円で26坪、完璧だよ。」
電話口のさなえに一方的に喋る石田。
「あ、まだ打ち合わせ中なんだ。また電話するから・・・ごめん、じゃぁね。」
電話を切る石田。
街角で携帯を持っているさなえ。
携帯をじっと見つめながら
「家賃30万円って大金じゃないの・・・もし失敗なんかしたらどうなるの?・・・本当に大丈夫かなぁ。」
不安そうなさなえ。
ついに物件を決めることができた石田。しかし、喜ぶ石田に反してさなえの顔は浮かない表情である。ごく普通のOLであるさなえにとって、家賃30万円というのは驚きの金額だったようだ。開業への道はまだまだ険しく続く・・・