[いしだ歯科医院]オープンから1年後-。
ビル街の一角。すでに日は沈んでいる。
テナントビルに[いしだ歯科医院]の看板が見える。
入口の扉には「本日の診療は終了いたしました」のプレートがかけられている。
院長室のデスクに座り、1人でカルテのチェックをしている石田。
時計の針は午後7時25分を指している。
その傍らの机の上には、1枚の葉書が置かれている。
「新開歯科医院の分院オープン!」の文字が鮮やかに描かれている。
その時、携帯の着信音が鳴り響く。
懐から携帯をゆっくりと取り出す石田。
「はい、石田です。」
「あ、石田先生。お疲れ様です。」
電話の相手は、勤務医時代の後輩・古里だった。
「おお、古里。久し振りだな。元気にしてる?」
「はい、何とか頑張ってます。」
一通り、お互いの近況報告をする。
「ところで、石田先生。少しご相談があるのですが・・・」
「相談?ああ、いいよ。私でできることなら・・・」
石田、携帯電話を持ち直す。
「実は・・・そろそろ僕も開業しようかと考えています。」
「おお、そうか。ついに決意したか。それは素晴らしい。」
「それで、開業医の先輩である石田先生にいろいろと話をお聞きしようかと思いまして・・・近々お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、いつでもいいよ。私でよければ何でも聞いて。明日の診療後にでもくるかい?」
「いいんですか?じゃ、お言葉に甘えてお邪魔します。」
「うん、待ってるよ。」
電話を切ろうとする石田。
「あ、石田先生。1つだけ聞いてもいいですか?」
再び、電話を耳に当てる石田。
「ん?何だい?」
「石田先生は、開業するのに苦労はされなかったんですか?」
一瞬遠くを見る石田。
「うーん、苦労したんじゃないかな。」
さらりと答える。
「え?」
電話機から古里の声が響く。
「・・・でも、今考えても、いろいろな人との出会いが私を助けてくれたから。」
石田の顔が微笑む。
「開業は1人ではできない。でも、素敵な出会いがあったから、私みたいな素人でもスムーズに開業できたんだと思う。開業できたのは、きっとそんな人たちのおかげ。そう考えると、開業に苦労したとは言えないのかも知れないな。」
古里は静かに石田の言葉を聞いている。
「詳しい話はまた明日しよう。じゃ、待ってるよ。」
「はい、失礼します。」
電話を切る石田。
暫くして、再び携帯の着信音が響く。
携帯を手に取る石田。
今度は電話ではなくメールだった。
携帯を開くと、数行の文字と添付されている写真が表示される。
「お疲れ様!今夜はハンバーグに挑戦してみました!」
写真には、焼く前のハンバーグが写っている。
石田の顔に自然と笑みがこぼれる。
携帯を閉じ、時計に目をうつす。
「さて、帰るか・・・。」
チェックしていたカルテを片付け、立ち上がる。
部屋の電気を消す石田。
部屋を出ようとしてふと立ち止まり、振り返る。
薄明かりの石田のデスクの上には、ウェディング姿の男女2人の写真が飾られている。2人とも幸せそうな表情を浮かべている・・・。
満足そうに笑みを浮かべ、ゆっくりと扉を閉じる石田。
「石田成泰の開業は、周囲にいる多くの人の協力があったから成功したのではないでしょうか?恋人の叶さなえ、先輩の新開聖子、税理士の森川先生、営業担当者の工藤賢治、そしてスタッフの皆さん・・・。」
開業から一年経った石田成泰は今、こう感じています。
「今、振り返ってみると、開業で苦労したとは思えません。なぜなら、私は良い出会いに恵まれたからです。開業はひとりでは出来ません。でも、素敵な出会いが私を助けてくれました。開業への道とは人と人との繋がりが最も大切なのです。」
~終わり
※長い間のご愛読、誠にありがとうございました。